2020-02-01から1ヶ月間の記事一覧

第8回 演劇はスポーツだを一人歩きさせて野田秀樹を困らせた

1972年、東京教育大学附属駒場高校(キョーコマ)*1に通う天才が処女戯曲を自作自演。東京大学文科1類(*2)に進学。教養学部キャンパス内にある寮の食堂ホールを改装。1976年、劇団「夢の遊眠社」の拠点となる駒場小劇場が生まれた。 新聞社で演劇や映画、…

第7回 朝日に席を譲った優しき後輩 最後の日本兵救出取材の苛烈な戦い異聞

3回に渡った小野田寛郎元少尉救出取材合戦。一度は輸送機が墜落して死んだ方がマシと絶望し、最後は勧進帳で紙面を埋め尽くす800行を吹き込んだ。この裏話のさらに裏話を鍛治壮一から聞いた事がある。この合戦のクライマックスは小野田少尉(*1)の元に最初…

第6回 カメラマンをヘリから蹴落としたと濡れ衣 最後の日本兵救出取材の苛烈な戦い(下)

取材合戦の最終話。 航空・防衛記者ひと筋40年 カジさんの名物コラム復活!続「書けなかった事、書きたいこと」第12回 勝ち取った小野田少尉取材戦争 ◆「ベルトを締めろ!!」「あれだ、あれしかない!!」。1機だけ別に遠く離れて着陸したUH-1イロコイに向かっ…

第5回 墜落して死んだ方がいいと絶望 最後の日本兵救出取材の苛烈な戦い(中)

週刊誌サンデー毎日のデスクなのに、現地取材班として、新聞の取材合戦に参加した裏話の2回目。航空機マニアな航空ジャーナリストがC-47やUH-1に絶望を味わわせられる。 航空・防衛記者ひと筋40年 カジさんの名物コラム復活!続「書けなかった事、書きたいこ…

第4回 最後の日本兵救出取材の苛烈な戦い(上)

鍛治壮一は30年近い会社人生のほとんどを東京本社社会部記者として過ごした。新人1年目の札幌から戻って以来、一度も転勤はない。全国紙の記者ではほかにいないだろう。唯一新聞作成部門である編集局を離れたことがある。1974年、最後の日本兵、小野田寛郎少…

前回のクイズの答:今後、民間人が最新鋭戦闘機に乗れない理由

F4EJファントムIIやF14トムキャットは2人乗り(複座型)の戦闘機。これに対し、F15イーグルは初期型のF15A、F15C、航空自衛隊専用のF15Jなど1人乗り(単座型)が中心。だが、鍛治壮一が乗ったF15BやF15Dという複座型の量産機もある。制空戦闘機であるF15が戦…

第3回 小野田寛郎・元日本兵の追悼記事

29年目の追悼 <3つの29年> 今回は鍛治壮一の一番最近の新聞記事を紹介する。6年前に亡くなった最後の日本兵・小野田寛郎元少尉の追悼文だ。小野田さんは上官の命令でフィリピンの孤島に赴き、1945年に日本が全面降伏した後も、ジャングルで29年間戦い続け…

クイズ:今後、民間人が最新鋭戦闘機に乗る事はない それはナゼか?

突然だが、クイズ。日本の民間人で初めて、当時の最新鋭戦闘機F15に乗った鍛治壮一はその体験記を航空専門誌や一般の雑誌などに書いた。それを見たどこかの雑誌だかテレビ局だかが企画をパクって米空軍に申し込んだ。もちろん断られた。航空と防衛の専門記者…

F14トム猫ワッペンいろいろ 第2回「米空軍の最高機密」補足

トムキャットのワッペン トップガンのトム・クルーズのようにパイロットスーツに貼ったのだろうか ロープに寄りかかる「いつでもかかってこい」バージョン 引退でグローブをはずした? E-2ホークアイとコラボ 前回の第2回で、U.S.NAVY(米海軍)の艦上戦闘機…