2020-05-01から1ヶ月間の記事一覧

第22回 明かされた秘密文書の存在 悲願の国際線進出に王手をかけていた若狭社長

1972年、田中角栄首相によって中国(中華人民共和国)と国交が回復し、日本航空が中国を飛ぶようになると、台湾政府は激怒。日台路線は廃止され、日航は台湾の空から閉め出された。そんな時、全日空の若狭社長は台湾への国際定期便を申請し、世間をあっと言…

第21回 国会で取材への談話を否定した史上最強の天下り社長・若狭得治

1976年2月7日、ロッキード事件の渦中にある全日空の若狭得治社長のインタビューを鍛治壮一は書いた。国会での証言で若狭社長はその談話を否定。その裏にあったのは、 1976年2月7日、若狭社長のインタビューが載った 2月6日のインタビュー --日本の政治…

第20回 社員に歓迎された史上最強の天下り社長・若狭得治

全日空の元社長・会長である若狭得治に関する連載を3回に渡って紹介する。全日空の二代目社長から懇願されて就任した元運輸省事務次官。普通、天下りというと監督官庁から押しつけられたイメージが強い。ましてや後にロッキード事件で刑事被告人にもなった。…

第19回 那覇市長から礼状 思い出の詰まった人間国宝の紅型を寄贈

今回は最近の話。 那覇市長からの礼状 本土復帰前の沖縄に、鍛治壮一は長期出張でよく行っていた。その頃、妻のみさ子は婦人画報の特集で沖縄に紅型という染め物がある事を知り、壮一に欲しいと頼んだ。 沖縄で知り合った紅型作家・城間栄喜さんに話すと、「…

第18回 スパイカメラを「実戦」で使った記者

カメラマニア以外にはなじみがないミノックスという超小型カメラのメーカーがある。機種名もミノックスだ。長さ10センチのほどの棒状だが、性能は高く、接写もできる。戦前にラトビアで生まれ、第2次世界大戦中、スパイが使ったなどと噂される。愛称はまんま…