第16回 計器の記録の謎も覆す 雫石事故の逆転勝訴

 ANAB727航空自衛隊の戦闘機が空中衝突した雫石事故の民事裁判。窓から地上を写した乗客の写真の謎は解けた。だが、「衝突地点は訓練空域だった」とする国はもう1つの根拠を主張していた。空中に定められた飛行経路(航空路)は、主に、航空用の無線施設(VORとNDBの2種類)同士を結ぶ幅のある直線の連なりでできている。無線施設から次の無線施設への方向を表す方向表示器の角度が、本来の航空路(ジェットルートJ11L)ではなく、訓練空域を通るルートを飛んでいたことを示す値だというのだ。

 

続・書けなかったこと 書きたいこと
第16回雫石裁判の波乱万丈その4―コロンブスの卵で逆転勝訴

鍛治壮一

 

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ANAボーイング727の飛行経路(実際の経路と国側の主張)

◆推論は正しかった

 ボーイング727機の気圧高度計と実際に飛んでいた高度は違うのだ。窪田陽一の計算では約600m高い。
 全日空と国側が、それぞれ写真分析を頼んだ2つの航空測量会社も気圧高度計の8,500mを入力した。こんな基本的なデータの差に、事故調査委員会も民事裁判書も気がつかなかった。と言うより、そこまで突きつめて考慮する必要のないケースばかりだった、と言った方がいいだろう。
 しかし、全日空の窪田陽一は「右窓から撮影すれば右に引っ張られる」「727機の航跡が2本になってしまう」などと非科学的な推論を続けた。「窪田さんの言うことはよく分からん」と呆れ顔の法務部の仲間を前に、自分で727の定期便に乗って実験までしてしまう。―そして推論は正解だった。

◆「コロンブスの卵ですよ」

 当時の窪田陽一の言動を知る数少ない仲間は「彼はネバーギブアップの男だからだ」と言う。ダメだと諦めず、また続けるのだ。
 窪田本人は「コロンブスの卵ですよ」と謙遜する。気圧高度計と実高度の違いに気がつけば、遠まわしの推論や実験は必要なかった。でも“権威ある”国も裁判所も気がつかなかったのだからコロンブスの卵で、コロンブスの窪田陽一は偉い。

◆2つの計器が205°のナゾ

 もう1つ、国側と対決しなければならない難問があった。
 国は「全日空の727機が函館NDBからヘディング183°で松島NDB、さらに208°で大子NDBに向かうジェットルートJ11Lを飛ぼうとしていない」「函館NDBからヘディング186°で仙台VORを経て205°で大子に向かうコースを飛行しようとした」と主張してきた。その証拠として持ち出したのが事故調査報告書に出てくる墜落した727から押収されたアナログの方向指示器である。「機長側と副操縦士側の計器の針が、同じく「205°」を示している。これは仙台VORの次の方位205°である。360°円形アナログの方向指示器が、同じ方向を示すことは確率的にみても偶然とは言い難い。パイロットたちが、意図的に仙台VORから次のヘディングをセットしたに違いない。つまり727はジェットルートJ11Lではなく、函館NDB→仙台VOR→大子NDBを飛行しようとした証拠である」。もし、この国の主張が認められれば727機は函館-仙台間のコースで自衛隊の訓練区域上空を通過して空中衝突したことになってしまう。

◆写真の数字は正しくなかった

運輸省の事故調査で押収された方向表示器の目盛りが「205°」である。民事裁判で、どう反論していくのか? これまた、全日空の訴訟対策チームは頭を抱えた。「そんなバカなことがあるもんか!!」と、ふたたびネバーギブアップの窪田陽一が、国側の2つの計器が同じ数値の確率論に挑んだ。
 丹念に事故調査報告書を読み直した。何度も、何度も。そして、不思議なことに気がついた。
「報告書に出てくる数字は『0』と『5』が多い。なぜなんだろう?」。―そして“非現実的な推理”で証拠物件の写真と報告書に記されている数字を見比べた。
「数字の切り捨て、切り上げが、同じになるはずがない計器の指示を生んだのた!!」
 つまり、21や22は「20」。26や27は「25」に切り下げ、28や29は「30」に切り上げる。このやり方で写真の数字を読み取れば、末尾が「0」か「5」になるケースが多くなるのだ。
 これまた、国も全日空も事故調も気がつかなかった盲点だった。
 窪田が実際に2つのアナログ計器の写真を見直すと、同じ「205」と言っても「204」と「207」だったのだ。

◆逆転勝訴

 東京高等裁判所で第2審判決が平成元年5月に出た。
 205°の件は国の主張が否定された。乗客が進行方向右窓から撮った写真解析について、窪田陽一の説明が通った。しかも、彼は裁判で正式の補佐人に指名され、法廷で尋問も許されることになったのだ。
 第2審判決では、727機の飛行高度について「少なくとも実高度と気圧高度計の指示高度との間に、約500mにも及ぶ顕著な差があって、その差は無視し得ないもので補正を要すると言うべきものである」として、国の主張する訓練区域上空での衝突を否定した。
「過失割合は2対1」。さらに第2損害として請求していた営業損害も認められたのである。
 民事裁判の第1審で「全日空対国の責任が4対6だったものが1対2になった」。それだけでなく、営業損害が認められたことで、全日空は保険会社に26億7,000万円を返還することもできた。事故当時支払われた保険金は25億円弱だった。1ドル360円から145円へと円高になっていたので、返還額は額面以上に大きかった。雫石事故から16年目の夏である。(雫石事故の項終わり。文中敬称略)

※NDB:無指向性無線標識
VOR:超短波全方向式無線標識

●(かじ・そういち)筆者は元毎日新聞社会部編集委員、現航空評論家