第15回 右の窓から写真を撮ると訓練空域に引っ張られる? 雫石事故の”オカルト現象”

 全日空の旅客機と航空自衛隊の戦闘機が岩手県雫石上空で衝突した事故。ANA自ら証拠として裁判に出した乗客のフィルムが「衝突地点は訓練空域だった」という国の主張を裏付けそうになった。絶体絶命の不利を大逆転する発見は「右の窓から写真を撮ると機体の位置が訓練空域に引き寄せられる」という”オカルト現象?”だった。

続・書けなかったこと 書きたいこと
第15回雫石裁判の波乱万丈その3―引っ張れる実験をやろう
鍛治壮一

◆「左窓から撮った写真が欲しい」

 何枚も何枚も図を描いているうちに、窪田陽一はふと思った。「もしかしたら、(進行方向)右窓から撮ると、右に引っ張られるのではないか? 実際は被写体から24km離れてB.727が飛んでいるのに、20kmしか離れていないことになるのではないか?」
 窪田の思いは、さらに膨らむ。「もしそうなら、左窓から撮れば左に引っ張られるだろう」
 しかし、事故機B.727の左側の窓から、下界を撮った写真など存在しない。ダメか!?
「いや、待てよ。右や左に引っ張られるという自分の仮説を証明すればいいのだから、事故機から撮影したフィルムでなくてもいいのだ。同型のB.727で飛行して、左右の窓から同時に撮影してみれば、自分の疑問が解けるかもしれない」
 早速、窪田は対策会議を招集して、図を示しながら説明した。みんな不思議そうな顔をして聞いているだけ。「そんなこと、あるはずがない」と思う。
 窪田の“実験”に賛同したのは若い法務部員だけ。その彼も「ダメもとですから」と言う。窪田は「ダメじゃ困るんだよ」と、仮説の実施場所と日時を決めた。
 B.727が飛行しているルートで、左右の目標物が明確に特定できるところ。飛行高度は事故機が巡航していた28,000ft(8,500m)か、それに近いところがいい。この条件を満足するのは、名古屋上空を飛行する東京-福岡線と東京-松山線だった。
 1983(昭和58)年6月2日、全日空253便福岡行きのB.727機は窪田の願いを乗せて13時21分、羽田を離陸した。“実験”は6ヶ月にわたり繰り返された。

◆B.727の航跡が2本になった!!

そして、事故機と同じように進行方向右側の窓から写真を撮り、同時に左側からも地上の写真を撮った。測量会社に分析してもらったら、窪田の仮説どおりになったのだ。

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 理由はわからないが、図のように右窓から撮ったら、右へ“引っ張られ”、左窓から撮れば左へ“引っ張られ”る。
 つまり、B.727の飛行コースは図のAとBの2本できてしまった。
 AコースとBコースの距離は数kmはある。なんで、こんなことになるのだろう。と、あきれている先輩や同僚が多かったに違いない。でも、窪田は「どうしてだ?」「どうしてだ?」と考え続け、いろいろ図(ポンチ絵)を描いていた。「AとBの間にB.727が飛んでいることにならないとおかしい」「それは、どういうことなんだ」。―そして、ハタと気がついた。

◆気圧高度計の“落とし穴”

 事故機のB.727は高度28,000ft(8,500m)を巡航していた。これは国も事故調査報告書、裁判所も争いがなく、双方が依頼した航空測量会社も、同じ数字をコンピューターに入力している。
 この数字(高度)が、おかしいのではないか?「28,000ftは真の飛行高度じゃないんだ。航空機は気圧高度計を使って飛んでいる。28,000ftにセットすると、その標準大気の気圧は(329,326ミリバール)のところを選びながら飛行する。空気の密度は、その日によって違ってくるはずだ」
 この瞬間、窪田は理工系進学を目指していた高校時代に戻ったのかも。富山県桜井高校2年のとき、ガガーリンが初めて宇宙に飛び出した。窪田少年はガガーリンのロケットが、どのくらいの速度なら地球の重力圏を脱出できるか、と教室で計算した。「秒速8kmだ」と同級生に言うと、「1秒間に8kmなんて、そんな速さになるわけがない」と、みんなにバカにされたことがある。
 さっそく、事故当日の大気圧について函館、仙台の気象台に問い合わせ、数値をもらった。あとは数学の比例を使って計算すればいい。誤差はあるだろうが、概算すると、8.500mではなく実際の飛行高度は9,100m。約600m高いところを飛んでいたことをつきとめた。

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 窪田の頭の片隅にあった「B.727はAとBの間の、もっと高いところ(C点上空)を飛んでいたのでは?」という“夢”は正夢だったのだ。

(つづく。文中敬称略)

●(かじ・そういち)筆者は元毎日新聞社会部編集委員、現航空評論家