第17回 コンコルド搭乗記
今回は、世界初にして唯一の商業超音速旅客機コンコルドが就航を終えた2003年に書かれた搭乗記。載ったのは40年前。1人あたりの旅行代金に驚かされる。萩尾望都やちばてつやら売れっ子漫画家たちにとってはどうって事もない金額だろうが、サラリーマン家庭でコンコルドに乗りたいからと言ったら離婚と引き換えだろう。
「書けなかったこと 書きたいこと」
コンコルドが、まもなく運航を中止する。
燃料を食う。運賃が高い。そして一昨年の墜落事故と同時多発テロ、アフガニスタンとイラクの戦争。コンコルドにとってマイナスの出来事ばかり。中止と決定して、乗りたい希望者が増えた、ともいう。僕は、PRのため羽田に来日した時と、“世界一周旅行”でパリ-リオデジャネイロをコンコルドに搭乗できた。
エールフランスのコンコルドが、パリ-ニューヨークのほか、パリ-ダカール-リオデジャネイロに就航していた1980年夏だった。やはりオイルショックで、パリ-リオデジャネイロ線を運休するという話が出ていた。友人である漫画家の松本零士とちばてつやが、「いまのうちにコンコルドに乗る」と言い出した。「宇宙戦艦ヤマト」や「あしたのジョー」で猛烈に忙しい2人だが、1ヶ月の休みをとって実行すると堅い決意である。僕は、同行取材して「世界一周」の漫遊記を書くことで、毎日新聞社が出張を認めてくれた。当時すでに防衛庁記者クラブ詰めだったから、いまから考えると夢のような話だった。なにしろ、旅行代理店に払った旅行代金が1人250万円だったのだから。
◆猛然と離陸上昇す
パリまでは日本航空の B.747で。まだ給油のためアンカレッジ経由である。パリで『ポーの一族』『トーマの心臓』など女流漫画家の第一人者、萩尾望都が参加した。「男の人から旅行に誘われたのは初めて」だそう。
エールフランス085便リオデジャネイロ行きは午後1時出発。3時間も前にド・ゴール空港に着くと、当時は最新鋭の第1ターミナル・サテライトの待合室へ。「コートはここでお預かりします」「シャンペンをご自由に召し上がって下さい」と搭乗前からサービス攻め。
0時45分に搭乗開始。前から9番目のシートを中心に座ったが、中央の通路をはさんで左右2つずつの4列だから、かなり狭く感じる。0時55分にエンジン始動。50分にはもうコンコルドは動きだし、滑走路に向かった。燃料節約もあるが、フランスのメンツがあるから、混んでいるド・ゴール空港でもコンコルドは優先される。
1時3分、コンコルドは猛然と大地を蹴るように離陸した。シートの背に体がめりこむような加速度。ストップウォッチで測ったら30秒で機首が上がった。2分後には客室の一番前に付いている大きなデジタルのマッハ計が「M0.47」を示した。
左に旋回しながら急上昇する。「シートベルトをはずしてもいい」のサインが出たのは7分後だった。
◆音速突破→M2.02の巡航
まもなくM0.95、M0.96あたりでマッハ計はストップしている。まだフランスの陸上を飛行中だから、衝撃波を出さないため音速以下にスピードを抑えている。そのころも、音速を超えたら「地上のガラスが割れたり、乳牛が乳を出さなくなる。ニワトリが卵を生まなくなる」とコンコルド反対の声が強かった。
27分後に大西洋上に出た。「これからスーパーソニックに加速します」と機長がアナウンスした。ほとんど加速感はなかったが、マッハ計が1.00を超えた。「グー、グー」とモーターのうなりのような音がする。なぜか、M1.14、M1.15付近でマッハ計が行ったり来たりしている。
スーパーソニックに加速して3分、M1.50になると、音は低い「ゴーッ」というシンプルなものに変わった。窓は小さいうえ他の旅客機に比べて高い位置にある。もっとも、雲や景色が見えるわけでなく、青黒い成層圏だけなのだ。M1.74あたりでコンコルドは少し上がっていた機首が下がり、水平になったようだ。
M2.00になったのは離陸50分後である。松本零士が「やったぞ。わしは音速の2倍で飛んでるんだぞ」と叫んだ。マッハ計はM2.02で止まっている。コンコルドの巡航速度なのだ。
◆スチュワーデスのテレパシー
乗客は約100人。スチュワーデスは2人。「ジャン・パトゥがデザインした制服。美人を選んでいます」とパンフレットに書いてあった。でも、決して若いとは言えないスチュワーデスである。ところが不思議なことに、通路をいくども歩いている彼女たちの笑顔が乗客の1人1人をとらえて放さないのだ。これこそベテラン・スチュワーデスのテクニックかと思ったら、松本零士が「彼女たちはテレパシー、予知能力があるんじゃないか」という。なぜかって。スチュワーデスは3、4席前のお客に食事を配っているのに、何か頼みたいと思う前に、こっちを見てニコリ。心に念じたものを運んでくる。やはり、エールフランスが自社の誇りをかけて選んだスチュワーデスなんだ。それとも搭乗前からシャンペンをサービスした彼女たちの作戦勝ちか? テレパシーを感じたのはわれら男性だけで、テレパシーをテーマに傑作を描いている萩尾望都が「私たちは、ちっとも感じない」というから。
2時間15分たってスピードダウン。パリをたって、2時間39分でダカールに着陸した。
(つづく)
「書けなかったこと 書きたいこと」
◆コンコルド最後の飛行
ダカールはアフリカ最西端の砂漠。ものすごく暑い。コンコルドからタラップで降りる時の燃えるような熱気。待合室2階の売店から黒人がドラムをたたいて呼び込みをやっている。いまから70年以上前、『星の王子様』の作家にして飛行家のサン=テグジュペリたちが、フランスのトゥールーズからカサブランカ、ダカール、さらに大西洋を越えて南米まで郵便飛行を敢行したルートだ。
◆25分でマッハ2.02
給油を済ませ、1時間後、コンコルドはダカール空港を離陸した。ダカールからは、すぐに大西洋上だから、ただちにスーパーソニックをめざした。10分たってM1.00。シートベルト解放のサインはM1.09。25分後に巡航速度M2.02に達した。食事はランチともオードブルとも言えない中途半端なものが出てきた。ただし、キャビアが1カンずつついている。松本零士は「わしゃ嫌いだよ。千葉さん食べてくれ」。「もったいない、もったいない」とちばてつやはビスケットに2人分のキャビアを盛り上げてパクパク。そのうち「窓ガラスが熱くなってきた」と松本零士がさわっている。そんなことないはずなのに。「ムッシュ・マツモトどうぞ」とスチュワーデスが呼びにきた。東京のエールフランスでコクピット見学を頼んでおいたが、許可するかどうかは機長の判断だと言われた。
◆ギロチン台のコンコルド
怪鳥のクチバシのような機首だから、やはりコクピットは狭い。それでいてDC-8や B.727並みの計器類の数があるから、左右の“壁”にそって後方までコクピットがきている感じ。とくに右側の航空機関士のパネルがギッシリと印象に残った。狭い空間に計器と機械がつまっていて、実験室かコンピュータールームみたい。
『宇宙戦艦ヤマト』の作者と知って、機長が「私も絵を描いています」と自作のマンガのコピーをさし出した。エールフランスのコンコルドがギロチン台にかかっている。断頭台のボタンは、コンコルド擁護と反対の両方の要素でバランスをとり、どうにか押されずに済んでいるところ。反対は航空燃料(石油)を減産して、値上げしているアラブの王様やリーダーたち。それに、自分たちのSSTを中止したためコンコルドに反感を抱いているアメリカのロビーストたちもギロチンのボタンを押す側に手を貸している。ソ連のSST Tu-144も左側で「どうしたことか」と首をかしげている。……これ以上、オイルショックが続いたら、コンコルドは抹殺される、という焦燥感を描いている。
◆20倍の燃料消費?
たしかに、コンコルドの燃費は厳しい目で見られていた。コンコルドの乗客は100人でジャンボ機は500人。それなのにコンコルドはジャンボの4倍の燃料を食う。「4×5=20だから、乗客1人当たりで単純計算すると、コンコルドはジャンボの20倍も燃料を使っている」と非難されたものだ。
コンコルドの運賃は、ファーストクラスの約15%アップだから、かなり高い。乗客のほとんどは「時間をお金で買おう」というビジネス客になるのは当然。当時のパリ-リオデジャネイロ線の座席占有率が63.3%だったから、エールフランスにとっても、かなり、きびしい状況だった。
コンコルドは英仏共同開発だが、ド・ゴール大統領のいるフランスの方が、何かにつけ、声が大きく、政府の後押しも強力だった。コンコルドははじめ「Concord」で、日本のマスコミも「コンコード」と英語の発音で書いてきた。しかし、完成が近づくや、フランス語の「Con-corde」とeがつき「コンコルド」となった。強調という意味だが、やはり英国の方は気になったようで、1号機のロールアウトで英首相は「最後のeはEuropeの『e』であり、Englandの『e』でもある」とスピーチをしたのを想い出す。
◆「21万6,000円もらったぞ」
そのフランス政府はわれわれが搭乗する前の1978年1年間に、コンコルドを運航するため3億200万フランの補助金を出している。この1年間のコンコルドの乗客は76,731人だ。乗客一人当たり3,936フランもフランス政府が払ってくれたのだ。1フラン55円だったから日本円で約21万6,000円にもなる。政府の補助金といっても税金だ。「それじゃ、コンコルドに乗るため、フランス国民から21万円以上もらったことになる。得したぞ!!」と松本零士。リオデジャネイロ到着は現地時間で午後2時半。所要時間21分だった。
5月末でエールフランスのコンコルドは終わった。
一昨年のパリの墜落事故があったとはいえ、イラク戦争、アメリカの巨大な影の力。やはり、コンコルドの機長のくれたマンガが本当になってしまった。