第1回 F15イーグル搭乗記 本文
この連載の第1回は、ブログのタイトル通り、鍛治壮一のF15イーグル搭乗記とする。当時、航空自衛隊が導入を決めたばかりの最新鋭戦闘機に、日本の民間人で初めて乗った。今以て民間人で乗った人間は数えるほどしかいないだろう。飛行機大好き少年がそのまま大人になったような文章だ。
乗ったぜ!
飛行性バツグン
F15イーグル
◆夢がほんとに・・・・・
マグダネル・ダグラスのF15イーグル戦闘機が、日本のFX(次期主力戦闘機)に決定した。米海軍のグラマンF14トムキャットとNATOのオランダやベルギーが採用したゼネラル・ダイナミックスF16と激しいツバゼリ合いをやって勝ったF15だ。ぜひ乗ってみたい。
うまいぐあいに、この十年間に、航空自衛隊のF104J戦闘機や国産のT2超音速練習機に乗ってスーパー・ソニックを体験してきた。コンコルドも試作機に同乗した。あぶなっかしい曲技飛行も、プロペラのメンター初級練習機や、ロッキードT33ジェット機でやってみた。いまこそF15イーグルに乗ってみなくては。
といっても日本でチャンスを待ってはいられない。七年前から日本が導入している二人乗りのマグダネル・ダグラスF4EJファントムだって、一般人は、だれも乗せてくれない。三年後から少しづつ入手するF15となれば、何年先になるかわからない(*1)。おもい切ってアメリカの国防総省ペンタゴンに手紙を出した(*2)。
「日本がFXに決めたF15に乗りたい熱望を抑えることができず・・・」
これはほんとうになった。
「3月14日(1978年)の夕方までに、ミズリー州セントルイスのマグダネル工場へ行け。F15イーグルに君が試乗する許可を与える。スケジュールの都合でチャンスは三日間。なお、天候不良によりF15がテスト飛行できなくとも、当方は関知しない」
と、まあ、こんなペンタゴンからの”指令”である。
喜び勇んで出かけた。しかし、もし、アメリカまで行き悪天候で試乗できなかったら、みっともないから、人にはいわずに(*3)。
持って行ったのは、オレンジ色の飛行服と、カメラを二台。ニコンにオートワインダーをつけたのと、ミノックス・カメラの35ミリサイズのやつ。広角で折りたためばポケットに入るからだ。
出発前に、航空自衛隊でFX調査のときF15イーグルに乗ったパイロットに、どんな具合かたずねてみた。
「まあボンヤリと乗っていたら、首の骨が曲がってしまうぞ。よそ見しているとき6Gや7Gの重力で急旋回すれば、素人は気を失うだろううな。それだけ、空中戦で、敵機に勝つため、ハチャ・メチャに飛ぶ戦闘機ですよ」
◆いちまつの不安抱いて
さすがに、いちまつの不安を抱いてアメリカに向かった。
セントルイスといえば、すぐセントルイス・ブルースを想い出すが、それは日本人だけだ。そんなもの、ありゃしない。ミシシッピ河のほとりにそびえ立つ巨大なアーチが目につく。ステンレス製で”ゲート・ウェイ・アーチ”と呼ばれ、中はトップの展望台までエレベーターが走っている。
マグダネル・ダグラス社は、こんな説明をした。
「ここはミズリー州、河の向こうはイリノイ州だ。むかし、西部開拓の時代、東からやってきた人々は、ミシシッピの東岸までたどりつき、幌馬車をとめ、タキ火をたいて野宿した。翌朝、イカダを組んで、みんな心をあらたにして河を渡った。新天地への希望と不安を抱いてセントルイスに上陸した。ここセントルイスこそ、西武の入り口なのだ」
アメリカ開拓のエネルギーと情熱のルーツの地、セントルイスでF15が生まれたといいたいみたい。
見せてくれた広報映画のタイトルは「Fighters are our bisiness」(戦闘機こそ、わが仕事)だった。アメリカでも、ジェット戦闘機を作りはじめてから、一度も中断することなく作り続けてきたメーカーはマグダネル一社しかないから、そういうのもうなづける。
あすは、いよいよF15搭乗予定日というのにお天気がさえない。早朝は雪がチラチラ降り、あとは一日中、鉛色の空。この調子じゃテスト飛行はできないという。一機あるF15は米空軍のものをマクダネルが研究開発のため借用している機体だから、ここに駐在している米空軍係官の飛行許可がいるのだ。
マグダネルの工場はセントルイスの民間空港と滑走路を一緒に使っている。忙しいときは、二、三分に一回、民間旅客機が発着している。
◆視界のいいときだけ
「旅客機が飛んでいるからF15も大丈夫でしょう?」と聞くと、ノー。
「危険なテスト飛行だから、視界のいいときしかやらない。それに、イーグルに乗るならViking Departureでなければよくないですよ」
バイキング?中華料理の食い放題のことじゃあるまいし、なんだろう。
「こうですよ」
と、サッと垂直に上昇するカッコウをした。「まっすぐに離陸上昇するんだ。バイキングの意味? それは北欧の勇士であり海賊であったバイキングが戦死したとき、野原にマキを積んで遺体を焼いた。すると、勇者の魂は黒煙とともに天へ垂直に昇って行くんだ。それに似ているからF15イーグルの離陸のパターンの一つに名付けたんだ。たぶん、あすもViking Departureのはずだ」
翌朝、八時半、いわれたとおり、マクダネルの飛行テスト・センターをたずねた。あけ方は太陽が出ていたのに、もうくもっている。「ハロー」と、テストパイロットのパトリック・ヘンリーさんが迎えてくれた。頭がはげあがっているから五十歳以上だろう。
「午後から晴れそうだ。いままで、どんな飛行機に乗りましたか」
「ええ、T33、T2、F104。T33ではスピン(キリモミ飛行)をやりました」
「ほほう、じゃあ慣れてますね」
パット・ヘンリーにいわれて少し心配になった。F15イーグルでブンブン振りまわされたら、たいへんだ。でも、パットさんは年をとっているから無茶をしないかもしれない。念のため年を聞いた。
「四十三歳です。もと海軍少佐で、エドワーズ基地の航空宇宙研究パイロット・スクールを出ました。ファントムはA型からE型までと偵察のRF型。ノースアメリカンF86DとE型。グラマンF9Fクーガー、マグダネルF3Hデモン、ノースアメリカンF100Fスーパーセーバー、ロッキードF104、T33、ノースロップT38タロン。爆撃機のB24、B57・・・。エア・ショーでデモ・フライトもやります」
ああ、これじゃ、やっぱり振りまわされそうだ。
お天気待ちの間に、装備品のチェックをやる。はじめに靴。
「ぼくのもブーツだから、これでいいですか」「いや、規則だから、この編みあげの長靴をはいて下さい」
◆カウボーイ・スタイル
オレンジの飛行服の上に、グリーンのGスーツをはく。ちょうど、西部劇のカウボーイが馬に乗るため腰から下にはくようなスタイルだ。ジッパーで、ぴったり留めると、下半身がしまって気分がいい。この前、T33でキリモミをやる直前、かなり緊張して、飛行服を着てから三回もトイレに行ったものだ。だが、きょうはニコニコしてみせた。わざわざアメリカまでF15に乗りにきて、コチコチに緊張していると思われたくないから。
背中から胸にかけトルソ・ハーネスをつける。日本語で縛帯(ばくたい)というが、ようするに、あとで体を機体のシートに、がっちりとしばりつけるためのものだ。
室の片すみにF15のシートだけあって、そこへ座ってみろという。
シートの上で脚帯をマタの間から左右に出して金具と結合させる。さらに腰についている金具でシートに結合する。
このシートの下には、救命浮舟、つまりパラシュートで飛び出し、水上に降りると自動的にふくらむゴムボートや、生き残るための固形食糧、無線機などサバイバル・キットが入っている。
首と両腕、両足以外はもう身動きできない。でも、さっきから、頭のうしろに何かが突き出ていて痛い。「あつ、これはヘッド・ノッカーだ。Mr.kaji、ほんとうにF15に乗り込んだら、格納庫から滑走路に進む途中で、手を首のうしろにやって倒して下さい」
「痛いし、じゃまですね」
「わざとそうしてあるんだ。忘れないようにね。安全ピンの役目をしている。ぼくが、そういうまで倒さないで下さいよ」とパット・ヘンリーさん。どうして?
「ヘッド・ノッカーを倒すと、いつでも緊急脱出装置が働くようになる。だから、君がまちがえて、脱出装置を引っぱったりしたら、地上でも、イスごと空中に飛び出してしまう。シートの下にある火薬でロケットのように打ち上げられる。パラシュートは開いて、きみは気絶するぐらいで助かる。しかし、そばにいる整備員たちは爆風でやられる。だから滑走路に入るまでヘッド・ノッカーを立てて、緊急脱出しないようにしてあるんだ」(*4)
◆まるで手品みたい
「じゃあ、こんなにきつくシートにしばられているから地上でF15が火事にでもなったら、一つずつはずしているうちにヤキトリになってしまいますね」
「いや、そのときの逃げ方を教えます。いいですか、FIRE(火災)だとだれかが叫んだら、肩と腰の金具の、ここを引いてパチンとやれば、一度にはずれる。立ってごらんなさい。スルリと抜けるでしょう」
まるで手品みたいに、F15のシートに、何重にもしばりつけられていた体が、急に自由になった。二、三回、練習させられた。
次に、天井からたれているパラシュートの索を指して、
「パラシュート降下の経験はありますか」
とんでもない。それじゃ、ぶら下がれという。
やっぱり同じように肩の金具をパチンとやると、体がドサッと床に落ちた。
「水面にぶつかる直前に、パラシュートの金具をはなすんです。そうしないと、自分の上にパラシュートがフワリとかぶさったり、索がからまって溺れるといけませんから」
万一のことを考え、いろいろ説明してくれるのだがこんなにくわしくする必要ないんじゃないか。どうせ、そんなときは、ぼくみたいな素人は死んじまうもの。
いや、ミシシッピ河か、ミズリーの大平原にパラシュート降下したら、素晴らしいドキュメントが書けるかもしれないぞ、なんて、勝手なことも考え、ニヤリとした。
「昼になったら背広に着かえて食事をしよう」
◆やはり神経が高ぶっている
パット・ヘンリーさんと食堂へ行く。イヤーな気持。まえに航空医学実験隊で、高空の整理訓練をしたとき「飛行前に消化の悪いものを食べるとお腹が苦しくなります」と注意されていたからだ。食事抜きにしたかったが、気分が悪いのかと心配されても困るから、薄いサンドイッチとコーヒーを注文した。やはり、神経質になっていたようだ。
パットの部屋で、ボードを見ながら計器類の説明をうける。マッハ計、Gメーター、高度計・・・・。自分でやらなければならない酸素マスクのチェック装置。マスクからもれたりしていたら、気がつかないうちに、ぶっ倒れてしまうだろう。
「マイクはホット・マイクにしておきます。きみの声は全部、地上で聞いている。地上のセンターでモニターしています」
◆絶好の飛行日和
午後1時すぎ、再び飛行服、Gスーツに身を固め格納庫に向かった。空は青く晴れ、絶好の飛行日和になった。チェック・ハンガーに待っていたのはF15B、71291号機。前後二人の複座だが、練習機ではなく、いざというときは戦闘機として使えるのがB型だ。
ハシゴをよじ登るようにしてF15イーグルの後席におさまった。ぼくなんか、ここから地上に滑り落ちただけで骨折しそうだ。
パットが前席からマイクの調子を聞いているらしいが、何も聞こえない。ヘルメットについているコードをガタガタやっていたら直った。
「オッケー」
と指で輪をつくって合図。四、五人の整備員が機体の下から離れた。
パットがエンジンを始動する。きょうのF15Bの重量は4万1000ポンド(19トン)だという。二基のエンジンの推力が4万7000ポンド(21トン)以上あるから、機体の重さより、エンジンの力の方が大きいのだ。ロケットのように飛べるぞ。(*5)
1時50分、F15はゆっくりとタキシング(地上滑走)
◆いよいよ出発
2時3分。タワーがいってきた。
"Viking Departure, Cleard for Take off "(バイキング方式で離陸してよろしい)
いよいよ出発だ。
"Roger"(了解)
パットが軽く答えて、左手でエンジンのスロットル・レバーを前へ押した。(ぼくの後席のレバーも操縦カンも、まったく同じ動きをするから、すべてわかるのだ)*6
エンジンの回転計が100%になった。
◆ドカン!体がめりこむように
グッとF15が前へ飛び出す。と同時にスロットル・レバーを、さらに前までいっぱいに倒した。アフター・バーナーの点火だ。
”ドカン”と爆発音がし、体がシートにめりこむような、ものすごい加速だ。
猛然とダッシュするF15イーグル。ひどく酔ったとき、タクシーのアクセルをおもいきり踏んで発車されると、井戸かなにかに吸いこまれるような、あの感覚。
"Airborne."(空中に浮いた)
と叫んでパットは操縦カンを手前に引く。F15の反応は早い。さっと機首が上がった。まだ8秒しかたってない。
◆まさに垂直離陸
驚いたことに、とたんに景色がなくなった。飛行というものは、離陸するとき、まわりの風景がだんだん下になり、遠くなっていくものだ。それが、突然、消えた。
F15イーグルが機首を65度に立て急上昇に入ったからだ。旅客機なら15度か20度だから、この65度は、もう垂直という感じしかない。
首から下げたニコンを、後方に向けシャッターを切った。そして後方をみた。いま出た滑走路がF15の二枚の垂直尾翼の間に残っている。いまGメーターは2Gを示している。”ウー、ウー、ウー”と操縦席の中で警報が鳴りひびいた。パットが高度1万2000フィート(3700m)に近づいたら鳴るようにセットしておいたのだ。こうでもしないと上昇しすぎてしまう。
操縦カンを横に倒してF15はクルリと裏返しになった。その姿勢で操縦カンを引っ張ると機首が水平になる。もし、F15を正常の姿勢のままで、65度の急上昇から水平飛行に戻そうものなら、この加速だから、マイナスのGがかかって、頭に血が上るやら、床からゴミが飛び上がるやら、たいへんなことになる。
第一、空中戦の前にそんなことをしたらパイロットが参ってしまう。
水平になってから、再び180度ロール(回転)して頭が空の方に向いた。ちょうど1万2000フィート、エア・ボーンから35秒だった。
「下をみろ」という。
キャノピー(風防)は外側に張り出し、ものすごく見晴しがいい。下をのぞいた。
あった。いま離陸したセントルイスの滑走路が、まだ、真下にあった。テスト・パイロットのパットは約束どおり、ロケットのように飛行場の上空で1万2000フィートまで上昇したのだ。
「スーパー・ソニックをやる」
パットはF15を3万8000フィート(1万2000m)まで一気に持っていった。
◆軽く音速突破
成層圏は、あくまでも青く、計器盤の外気温時計がマイナス55度を示している。いま速度はマッハ0.85。マッハ計を注意してろという。
再び、アフター・バーナーに点火した。F15が加速された。
「Mach Point 9」「Mach Point 9 6」・・・と一緒に声を出す。
ついに音速突破。
これが、なんともないのだ。”音速の壁”などといわれるが、あまりにスムーズすぎる。F104J戦闘機のときは水平飛行なのに音速を超える瞬間、なぜか高度計G”ピクッ”とビックリしたように1000フィート高くなったのに、それもない。F15はコンピューターで、それまで完全に修正してあったのだ。スムーズすぎて面白味がない。マッハ1.6までやって、やめた。燃料を他の飛行テーマのため残した方がいい。
「Gをかけてみよう」「プリーズ」と、ぼくは冷静に答えたが、ほんとうはドキドキしていた。飛行前に「Gをかけて目が見えなくなるのを一回やって下さい。ただし飛行の終わりの方にして下さい」と頼んでおいたからだ。
F15は超音速のまま右旋回させた。機体の傾き(バンク)は60度。旅客機は乗客に気分を悪くさせないため30度が限度である。
「3G!!」
Gメーターからの針を読み上げる。体が頭から押えつけられたようにシートにめりこむ。それでも左手をのばし、ニコンのシャッターを自分に向けて押した。苦しそうな顔を残しておかなければ。
◆そうだ!”りきめ”
そうだ。Gがかかるときは、”りきめ”といわれていた。ぼんやりしていると、2倍も3倍も身にこたえる。「トイレでしゃがんでりきむようにしろ。怒って興奮している方が、血管も収縮して、少しでも頭や上半身から血液が下へ行くのが防げる」といわれていた。うんと怒ってやれ。
「4G、Okay? Mr.Kaji」「オッケー」
続いて5Gだ。一度、直線飛行に戻ってGを抜いてから、パットは操縦カンを右に倒して手前に引いた。
右垂直旋回飛行に入った。旋回率が大きい。もうカメラどころじゃない。1.3キロのニコンが五倍の重さ、6.5キロになることだから首が痛いはずだが、そんなことわからない。自分の体重が五倍になっているんだから。
Gスーツがきいてきた。腰から下につけたGスーツから出ているゴム管は機体の装置に連結しておいた。Gが一定以上になると、自動的に空気がGスーツの中に流れこみ、下半身をしめつけるようになっている。
足くびの方から、Gスーツに空気が流れこんでくる。ジワジワと少しずつしめつける。足から腰にはい上がってきて、最後にグッと腹をしめる。
どういうわけか、山の中で冷たい水の流れに足をつけていて、だんだん水カサがふえてくるようなおもい。さわやかで、ひんやりと重々しい気分なのだ。
「どうだね、FIVE Gは?」
「グーッド。バット、ノーモア」
ここで気持ちが悪くなったら困るから、これ以上は断った。
◆テール・スライド
ジェット機が後方に飛ぶことができるだろうか? それをF15イーグルはやってみせた。
「じゃ、テール・スライドをやろう」
前席のパットは、こういって高度3万フィートでスピードをあげた。これは、日本を出発する前に一つだけ注文しておいたことだ。「F15ならテール・スライドは可能だ。ふつうのパイロットは禁止されているが、テスト・パイロットならやってくれるかもしれない」
という話だったから。
マッハ0.9ぐらいで”よし”とばかり操縦カンを引いた。F15の機首をピタリと天頂に向けた。正確に90度、少しの狂いもなく垂直上昇。
高度計はどんどん上がり、スピードはゆっくりと下がっていく。座席の背は水平だから、体は寝たようになり頭が天空を向いている。
スピードが、急激におちてくる。F15は、少しもふらつかないが、速度計が、きわめて不安定。”ヤヤッ”、速度計の針がフラフラしだしたらと思ったらゼロ。
F15イーグルは天頂を指したまま、スピード・ゼロ。空中に静止したのだ。このとき高度計は4万2000フィートと読みとれた。
次の瞬間、F15は落ちた。落ちる落ちる。機首をピタッと天頂につけたままシッポから滑り落ちる。テール・スライドだ。
重力はゼロ。いや、少しマイナス気味だろう。床のゴミがフワフワと浮上してくる。首にかけたニコンカメラが、生きもののように勝手に浮き上がった。無重力状態は、どうも気持ちが悪い。
外をみると、キャノピーの周りがゆれているよう。そうだ、ジェット・エンジンの燃焼ガスが、機体に剃って逆流しているのだ。
このとき、F15は、機首から糸で吊り下げられたように、少しもふらつかない。と、急に、パターンと機首を下にした。ほんとうは、二、三秒かかったのかもしれないが、感覚的にはパターンとしかいいようがない。
だが”ワーッ”と声をあげそうに驚いたのは、パターンが、のけざるように後方に倒れたからだ。地上が頭のうしろから前へ、サーッと落ちてきたのである。
そのままF15イーグルは機首を真下に、みるみるスピードを増した。
◆約4700メートルも落下
パットは操縦カンを引いて機首を水平に立て直した。マイナスのGから、いっっぺんに3Gになったので、これはきつい。水平になったとき高度は2万8000フィート。1万4000フィート、約4700メートル落下したのだ。
「テール・スライドは前へ倒れて元へ戻ると聞いていたのでビックリしました。仰向けだなんて」
こういってから後悔した(*7)。パットは、
「人間だから、いくら正確に90度上昇しても、少しは狂う。だから、そのときによって前に倒れるか後方に倒れるかわからない。よしもう一度やろう」
もう十分だったのに、パットは再び水平加速して、あっというまに90度上昇をやった。
やった。二度目は、予想どおり、テール・スライドから前へ倒れて脱出した。パターンという、あの安定した回復ぶりは変わらなかった。
◆対ファントム空中戦
「Red 3、Red 3」
と、パットは、F15のあとから離陸したF4Eファントムに呼びかけた。きょうの仮想敵機になるファントムだ。
イーグル対ファントムの空中戦だ。
「レーダーをよく見て」
こっちの高度は5000フィート。敵ファントムは2000フィートの低高度で真正面から接近してきた。レーダーにうつっている。百数十キロ先だ。
計器板の左上のレーダー・スコープは、ぐるぐる回転する円形でなく、四角で碁盤の目のようにグリーンの線が入っている。相手の位置、スピード、高度、どんな飛び方をしているか、また、こっちは、どのミサイルを、いつ発射すべきかまで、すべてのデータ-がデジタル(数字)と記号で出てくる。宇宙戦艦ヤマトの操縦室より、いいんじゃないかな。
「Contact!!」(敵機と接触した)
距離110キロ、左15度。敵機はマッハ0.9。パットは、左手でエンジン・パワー調節のスロットルを握ったままレーダー上の目標にロック・オンした。もう、レーダーは敵機をとらえて放さない。
◆発射!
50キロ近くでレーダーの下に赤く「INRNG」と点滅した。スパロー・ミサイルの射程に入ったという合図だ。”Fire!!”(発射!!)
実戦なら胴体下の電波誘導ミサイル・スパローが敵がめがけ飛ぶ。
しかし、ファントムは、なおも突き進んでくる。レーダー上に、敵の運動が3Gとか4Gという記号で出る。敵も旋回したりタイプしたり、激しく動きまわって、ミサイルをかわそうとしている。
ここで、短距離のミサイル、Sidewinder(ガラガラ蛇)発射。”ファントムは二度死ぬ”だ。
ああ、不覚にも次の瞬間、どんなことが起こるのか、予想だにしなかったのだ。
後でわかったのだが、そのとき前方の敵ファントムは、F15の真下を駆け抜けようとした。
F15イーグルは、グワッと左旋回から裏返しになると逆落としのようにファントムに襲いかかった。方向転換して敵の後尾につけるのだ。
そうとは知らず、カメラで外をパチパチやっていたからたまらない。
あっという間もなく、目の前が、まっ暗。テレビのスイッチを切ると、画面がスーッと小さくなって画像が消える、あれだ。同時に方向感覚も失った。
◆意識を失う
その直前、左から入道雲のキレ間に急降下するとき、ミズリーの大平原の縁もみえた。空が、これほど立体的な厚みをもって迫ったことはない。それが最後で、意識を失った。
一、二秒だったのか数秒だったのか? F15の前3000メートルにファントムがいた。バルカン砲で必殺の位置についていたのだ。これがドッグ・ファイトか・・・・・・・。これでファントムは三回撃墜されたわけ。
やあ、ぼくも死ぬかと思った。さっき、重力が6Gか7Gになった。これも後から聞いたのだが、急旋回中に、やたらと頭を動かすとプロでも耳の三半規管のせいで、方向を失う。
空中戦終了。ファントムがスピードをおとし、そばへやってきた。吐き気を抑えながら迷彩したファントムのパイロットに手を振った。そんなゆとりはなかったのだが、ここでカッコよく無理をしてやった。
午後3時29分、F15はセントルイスの滑走路にタッチダウン。機首を15度もあげ、ちょっと三角翼のコンコルドのように着陸した。
テスト・センターに戻りながらパットがいった。
「どんな飛び方をしても、F15イーグルはキリモミに入ったり失速しない。テール・スライドも他の戦闘機じゃ不可能。もし、同じように飛んで追っかけてきたら、その敵機が先に落ちてしまうよ」
まさに、F15イーグルは、そのことを証明した。飛行特性はズバ抜けていい。だが、テスト・パイロット、パットの腕も、また抜群だったのだ。
(鍛治壮一記)
脚注(鍛治信太郎)
*1 航空自衛隊にも申し込んだがダメだったので米軍に頼んでみたと聞いた事がある。
*2 鍛治壮一は、外交官試験合格率で東大法学部を圧倒していた教養学科のアメリカ科中屋健一ゼミ出身。当時の教育なので、スピーキング、発音はひどいが、英語の読み書きは得意。アメリカ人に「あなたの英語は会話だと幼稚園児のようだが、文章は大学院生のようだ」と褒められた(呆れられた?)という。
*3 F15に乗るために行く事は妻にも言わなかったそうだ。「言ったら『そんな危ない事するなんて!」』と叱られると思った」といつもの無邪気な笑顔で説明した。
*4 コクピット緊急脱出装置の仕組みなんてふだんあまり意識したことない。
昔、1or8(一か八かという意味)という番組で、B21スペシャルのヒロミが背中に6000発のロケット花火を背負ったら空を飛べるか”実験”して、瀕死の大ヤケドを負った。座席の下に爆薬が仕込んであるなんて、それとほとんど同じことをやってるんだなと。
*5 普通の飛行機は主翼に風を受けることで生じる揚力で空中に浮かんでいる。垂直飛行は揚力を利用できないので、エンジンの推力自体が自分の重さより勝ってなければならない。推力重量比が1を超えるという。米海軍の最新鋭戦闘機F14トムキャットもF16もできない。当時は世界の戦闘機でF15だけの能力だった。
*6 練習機では教官が後ろに座るが、前述のとおり、F15Bは量産型の複座機。
*7 あんなに飛行機が好きな鍛治壮一がやりたくないと後悔するとは。